サンディエゴにて

 今、アメリカのサンディエゴに来ています。

 2年前に僕が自主制作した短編映画 "RICEBALLS"が、この地で毎年開かれているサンディエゴ・アジアン映画祭で上映されたので、そのプロモーションを名目に、実は映画祭の雰囲気を楽しむためにやってきました。

 まだ2本しか映画を作ったことのない素人の作品にも拘らず、ありがたいことにこの映画、2016年4月にトロントで開かれた TIFF Kids 国際映画祭を皮切りに、これまでに世界各国30以上の映画祭に招かれて、たくさんの観客に見ていただきました。国を挙げると、オーストラリア、アメリカ、カナダ、シンガポール、デンマーク、インド、イギリス、カタール、アラブ首長国連邦、インドネシア、メキシコと、多岐に渡ります。どういうわけか日本の映画祭にはことごとく門前払いを食わされていて、未だに凱旋上映が果たせておらず、リストにに日本が入っていないのがなんとも悔しい限りです。

 

 この映画は、シドニーに住む日本人の父親と、オーストラリア人とのハーフの息子が主人公です。妻を亡くしたばかりの父親は、日本に帰るべきかと迷いながら息子を育てています。息子のランチのために不器用な父親が作るのは、昔ながらのおにぎり。しかし息子は母親がよく作ってくれたサンドイッチを恋しがります。やがてこのおにぎりが、二人の心を結びつけ、悲しみを一緒に乗り越える強さに変えていく、というストーリーです。

 映画のこれまでの記録は、Facebookに専用ページがありますので、是非こちらをご覧ください。

www.facebook.com/riceballsfilm/

 

 映画祭の楽しみは何よりもまず、いろんな人に会えることです。

 人に見てもらえなければ、映画を作った甲斐がありません。自分の映画を見てくれた観客と直に対話できるというのは、本当に嬉しい瞬間です。

 世界の国々からのフィルムメーカーに会えるというのも、貴重な経験です。

 世界各国ありとあらゆる場所で、数え切れないほどたくさんの人たちが、たっぷりの情熱を込めて映画を作っています。ハリウッドだけが映画界じゃないんだということを、映画祭に行くたび教えられます。

 短編映画は特に、ほとんどの場合お金儲けにつながることはまずありません。みんな地位とか名声などには縁遠そうな顔つき語り口で、それでも自腹を切ってまで作った自分の映画が認められて映画祭に来ていることが、嬉しくてたまらない面々です。映画好き同士が集まって一緒に酒を飲み、お互いの映画に触発され、お互いに元気をもらってまたそれぞれの国へ帰っていく。そういう映画祭の楽しさは、一度味わうと癖になります。高い飛行機代を払ってでも、できる限り参加したくなるのも無理はありません。

 もちろん、これがカンヌだヴェネチアだ、となるとこうも悠長なことも言っていられず、やれ何を着るの誰とコネを作るのどこのメディアに売り込むのと、いろいろめんどくさいことも出てくるんでしょうが、僕が参加した映画祭レベルではそんな気苦労もプレッシャーも一切なしです。マイナーで結構、僕はそっちの方が気楽でありがたいです。

 

 今回の映画祭で、また一つ忘れがたい出会いがありました。ある映画に合わせて行われた小さなパーティーの席でのことです。

 僕は映画祭にはたいてい一人で参加します。人見知りというか自意識過剰というか、自分から人に話しかけるというのがいくつになっても苦手な僕にとっては、こういう場所は毎回苦行です。一度知り合ってしまえばかなり人懐こい方だとは思うんですが、どうしても最初の一歩が踏み出せず、気安く誰かと会話を始めている人を羨ましく見ながら、気まずい時間をやり過ごします。

 その時もやっぱり会話の輪に入りそこね、空いていた壁際の席に座りました。隣に座っていた中東系のおじさんに、なんとなく親しみを感じたからかもしれません。

 どちらからともなく、そのおじさんと僕の間に会話が生まれました。訛りがきつい上に歯が数本欠けているおじさんの話は時々理解に困りましたが、問わず語りに始まった彼の半生の話に、いつしか引き込まれてしまいました。

 

 そのおじさん、ナジャさんはイラク出身です。80年代初頭、ナジャさんがイラン・イラク戦争に兵士として駆り出されたのは彼が22歳の時でした。奥さんと、まだ赤ん坊だった息子を残し戦場に赴いたナジャさんは、程なくして戦闘で負傷します。

 やがてイラン兵がやってきました。その当時、見つけた敵は捕虜にすることなく殺すのが当たり前だったのですが、まだ若いイラン兵は、ナジャさんが持っていた奥さんと息子の写真を見て同情したのか、彼の命を助けたのでした。

 その後ナジャさんは、戦争捕虜としてイランでなんと17年間も投獄され、動物以下の扱いを受けながら過ごしました。そして90年代後半に、やっとの思いでイラクに戻った時には、奥さんと息子の行方は既に分からなくなっていました。最初の湾岸戦争で街は荒廃し、ここにいても仕方がないと思ったナジャさんは、やがてカナダに渡りました。

 バンクーバーでの新生活は決して楽ではありませんでした。戦争の傷跡がPTSDという形でナジャさんを苦しめ、やがて病院通いをすることになります。

 ある日病院の待合室で、向かいに座った中東系の男性を、ナジャさんは初めイラク人かと思いましたが、話をするうちに彼がイラン出身だということがわかりました。話はやがて戦争の話になり、二人ともイラン・イラク戦争で従軍していたことが判明すると、どの部隊で、どこで戦っていたのかなど話はどんどん焦点が狭まっていきます。そして二人の話にますます共通項が見つかっていくのです。

 そのイラン人の男性が、なんとナジャさんの命を救った元兵士だったことがわかった時、待合室に絶叫が響き渡りました。戦火の合間に命を分け合った敵兵同士が、20年以上経った後、どういう運命のいたずらか、遠く離れたカナダで再会したのでした。

 叫び声に驚いて飛び出してきたお医者さんは、二人の話を聞くとすぐさま地元のテレビ局や新聞社に連絡しました。この感動の再会は当時カナダで大きなニュースとなり話題を呼んだのだそうです。

 この話を是非ドキュメンタリー映画にと、二人にアプローチしたのが、ジャーナリズム出身で韓国系カナダ人の女性監督、アン・シンさんでした。二人の数奇な半生と現在、カナダで再会した二人の深い友情関係、そして再び奥さんと息子の行方を求めてイラクに渡ったナジャさんの旅を、感動的な記録にまとめあげたのが、ドキュメンタリー映画 "My Enemy, My Brother" です。

www.myenemymybrothermovie.com

 

 パーティーの翌日に開かれた、この映画の上映会で、イラン出身の元兵士、ザヘドさんにもお会いすることができました。

 彼の半生の話を聞いていると、いったい何本映画ができるんだろうと思うほど様々なストーリーに満ちています。眼光鋭い彼ですが、その視線は生半可な役者がいくら格好つけて凄んでみても足元にも及ばない、深みと温かみがありました。

 ナジャさんの命を救った時、ザヘドさんはまだほんの子供だったそうです。父親から受け続けたひどい家庭内暴力から逃れるために、イラン軍に志願した時、彼はまだ13歳でした。

 敵兵を助けたことで入獄され、ひどい拷問も受けたと言います。戦争や獄中で受けた傷のために、ザヘドさんが受けた整形手術は13回にも及ぶほどでした。戦争の記憶は今でも彼を苛んでいて、ナジャさんと同じく、ザヘドさんも悪夢を見ない夜は1日もないのだそうです。

 難民としてカナダに移住した彼の元に、イランの家族から、父親が癌に侵されているという知らせが入りました。長い苦悶の日々を経て、自分も父親になった彼は、父親もまた子供の頃に受けた心の傷に苛まれていたことを知り、憎しみに駆られて生きるのはやめようと心に誓います。しかし様々な事情から、和解しようにもイランに戻ることができません。ナジャさんの家族探しの旅に同行してイラクに行き、イラン国境の街からふるさとの街を見つめながら涙を流すザヘドさんの表情は、この映画で忘れられないシーンの一つでした。

 

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ナジャさん

 

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ザヘドさん

 

 

 ナジャさんもザヘドさんも、一見ごく普通の人懐っこいおじさんです。もはや家族同然の間柄になった二人の掛け合いは何とも温かい愛情に満ちていて、周りにいる人間をも温めてくれるほどです。笑顔には慈愛が溢れかえっています。

 僕があれこれ不平を言いながらも安穏と暮らしていた同じ17年間に、ナジャさんは過酷な獄中生活を送っていました。そして僕が相変わらず不満たらたらで過ごす現在も、ナジャさんとザヘドさんは毎晩悪夢と戦っています。

  こんな普通のおじさんの心の奥底に、こんなに深い悲しみや辛い記憶が隠されていることを、いったい誰が知り得たでしょうか。

 中東系の人を見ると片っ端からテロリストを連想する、偏見だらけの「西側社会」の我々は、想像力の欠如という病気のために、彼らの苦しみや人間としての共通項を感じ取ることができなくなってしまっています。

 悲しみに裏打ちされた二人の温厚な笑顔は、それと似たものが実はあちこちで咲いているはずです。それに気づかずに通り過ぎてしまうほど、あまりにも僕らは急かされていて、心を閉ざしたまま日々を歩いているんだなと、愕然とする思いでした。

 

 彼らの痛みの1000分の1も、僕は感じ取れないかもしれません。それでも彼らに実際に会い、話を聞かせてもらうことができたことの幸せに、心から感謝しています。そしてこういうストーリーを紐解いてくれる、ドキュメンタリー映画というメディアの奥深さに、改めて目を開かされました。

 今からシドニーに戻ります。甘えたことを言い始めたら、ナジャさんとザヘドさんを思い出そうと思います。そしていつか彼らに会いに、バンクーバーに行けたらと思います。

 

 長文を読んでいただき、ありがとうございました。お元気で。