「おめでとうございます」

 先日、シドニーで開かれたあるイベントで、1985年公開のアメリカ映画 "Mishima: A Life in Four Chapters" が上映されるということで、見に行ってきました。

 言わずと知れた三島由紀夫の生涯と壮絶な最期を、彼の作品と重ね合わせながら4部構成で描いた作品で、錚々たる日本人俳優たちが全編日本語で熱演する見応えのある映画でした。エクゼクティブプロデューサーはあのフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、監督・脚本は「タクシードライバー」も書いたポール・シュレイダー、カンヌ映画祭でも受賞しているほどの作品でありながら、様々な事情で日本未公開となってしまい、なんとももったいない話です。出演者やスタッフの落胆はさぞかし大きかっただろうなと気の毒に思えてきます。

 この作品で三島を演じたのは、往年の名優、緒形拳さんでした。

 85年公開の作品ですから緒形さんは47歳頃でしょうか。俳優として脂の乗り切ったあの頃の緒形さんの姿を久しぶりに拝見して、ため息が出ました。気迫と熱意がマグマのようにふつふつと、微動だにしない表情や静かな声音にすらたぎっている力強さ。それでいて、にんまり笑った顔の子どものような屈託のなさ。一人のキャラクターの中にいろんな動物が共存していて、時折その中の一匹が、体温や匂いさえ感じさせながら顔を出すような、予測不可能な独特の存在感に、改めて敬意を抱きました。

 

 緒形拳さんにその昔、年賀状を頂いたことがあります。

 大河ドラマや映画などで彼の演技力と存在感に圧倒され、その頃から密かに役者を志していた僕は、何度かファンレターを出していました。きっと「緒形さんのような俳優になりたいです」とか何とか書いたんだと思います。

 ある年の正月、独特の豪快な筆跡で、うちの住所と僕の名前が書かれた年賀状が届きました。その裏には、ごくシンプルに、

「おめでとうございます 緒形拳」

 とだけ書いてありました。

 どこの馬の骨ともわからない中学生のファンにわざわざ年賀状を下さったことも感激ですが、ご自宅の住所も電話番号もちゃんと明記してありました。畏れ多いやら嬉しいやらで、ずいぶん取り乱した覚えがあります。

 多分お礼の手紙は出したと思うのですが、会いに行く勇気もなく、いつかお会いできたらと思っているうちに、10年前、緒形さんは惜しまれつつ急逝されました。

 その年賀状は今も額に入れて飾ってあります。「あけましておめでとう」ではなく、ただ「おめでとうございます」とだけ書いてあるハガキは、ささやかでも何か嬉しいことがあった時や、役者の仕事が取れた時など、その時々にお褒めの言葉を下さるようで、いつもさりげなく見守ってくださっています。

 

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 嬉しいご報告があります。

 あるアメリカのテレビシリーズに、今までになく大きな役をもらって出演することになりました。来年1月から撮影のためカナダのバンクーバーに滞在する予定です。

 この仕事が決まるまでのずいぶん長い間、僕の頭の中では、「潮時」という言葉がくり返しくり返し、響き続けていました。

 自分で監督・主演した短編 "RICEBALLS" があちこちの映画祭に呼ばれ、たくさんの出会いにも恵まれて、周りからはさぞかし華々しく見えたでしょうが、俳優の仕事は鳴かず飛ばず、オーディションにも落ちまくり、やはりいい加減観念して自分の限界や身の程を思い知るべきなんじゃないかと思ったりもしていました。

 そんな時にふっと訪れたこのチャンスにも、「潮時かもなー」という思いが頭から離れず、これがダメだったら今度こそ決定打だ、と、有終の美というかイタチの最後っ屁というか、妙に開き直った気持ちで臨んだオーディションでした。

 それがどういう訳かトントン拍子に話が進み、気がついたら役を頂けることになったのです。

 役を勝ち取った、とか、努力が実を結んだ、というような、勝利の喜びみたいなものは不思議と湧いて来ませんでした。ただひたすら胸に沁みたのは、僕自身が醸し出す雰囲気やら見てくれやらがぴったりの役に、ようやく巡り会えたんだということ、そして誰かに必要だと思ってもらえているという有難さでした。

 今までセコセコ焦って浮いたり沈んだり、不安がったり悲観したりしていたのは一体何だったんだろうと思いました。自分一人の力ではどうにもならない流れの中でも、僕というコマがぴったり当てはまる場所は、うまい具合にちゃんと用意されていたのです。

 続けていてよかった、と思いました。

 「潮時」という気の迷いに負けて辞めてしまっていたら、きっとありつけなかったはずの喜びでした。

 

 「おめでとうございます」

 

 緒形拳さんも額の中から、今度ばかりはあの満面の笑みで、お褒めの言葉をかけてくださっているような気がします。